ここしばらく続いていた雨が止んだ。
       気温が下がり、凍える大気が街全体を包み込む。けれど、それも雨が止むまでの事だった。
       N◎VA上空を覆っていた雲が、徐々に薄くなっていくのがわかる。日を追うにつれ、薄墨色から鉛
      色へと。それから灰色となった雲の層が白へと変わり行く頃。
       薄くなった雲の向こうから、光と熱が大地へと徐々に送り込まれていく。冷えきった都市の空気が、
      少しずつ熱を帯び始めた。
       N◎VA特有の“常春”日和が戻ってくるのに、それほど時間はかからないだろう。

       ビルの間を吹き抜ける風も相変わらず強かった。
       首筋を撫でる風はひやりとして冷たい。けれど、頬と髪に吹き、過ぎる風の感触は、例えようも無く
      心地よく。そのまま意識を、眠りの世界に鎮めてしまいたくなった。
       空一面を覆う雲は薄く、太陽の姿がぼんやりと見える。意固地に居座る薄雲は、ずっと蒼天と太
      陽を覆い隠したまま。ランプシェードのように陽光を遮り続けた。
       柔らかな光はわずかに黄色く、中央区の高層建造物の群や郊外の廃ビルに降り注ぐ。その影にある
      人々の生活、喧騒など思わせぬくらい、光は幻想的で、優しかった。

 

───同じ街で暮らすこと(1)───

 

       とある邸宅。だだっ広い家の一室で、武誠(ウーチェン)はひとり、陽だまりの中にいた。
       がらん、とした寝室。申し訳程度の装飾品や観葉植物は部屋の隅に佇み、あとは飾り気のないベッ
      ドが一台あるだけ。ベッドメイクに乱れはなく、触れた様子もない。
       生活感が希薄な部屋はしん、としてて、部屋に唯一の生き物である武誠の息づかいさえ聞き取れない。
       彼はフローリングの床に直に座りこみ、目蓋を閉じていた。胡座をかき、光が射しこむ部屋の窓へ
      体を向けて、あのやさしい光を一身に浴びている。静寂と同化する姿は、光合成をする植物のようでも
      あった。

       直毛の黒髪は短く、彫りの浅い顔立ちは鋭い線で形作られている。黄色の肌と照らし合わせる事で、
      典型的な“夏”系人種だとわかる。
       じっと座りこむ姿は静かすぎて、まだ年端もいかない(はずの)容姿よりくたびれた印象を放つ。
       それでも弱々しさを感じさせないのは、しっかり背筋の通った姿勢によるものと思われた。
       ただひとつ不思議な事と言えば、彼の身なりだろうか。
       洗練された家屋の内装とは裏腹に、着古し、袖が擦り切れた彼の古着。その服装が、まとう武誠自
      身の過ごしてきた時間を、見る者に連想させた。
       ゆとり、安らぎといった雰囲気が満ちた屋内の中で、武誠のその姿だけがかみ合わない。整然とした
      様が時の存在を忘れさせる部屋の中では、唯ひとつ浮いて見えた。
       音のない凪と光に身を浸し続けていたが───。

 

       ピッ シュン……ッ

 

       大気が、わずかに揺れた。それは波紋の如く、武誠の耳に押し寄せる。大気を渡る波紋は武誠の向背
      から───部屋に唯一備えられた自動ドアからのものだとわかる。
       ドアをくぐり、部屋に入ってくる気配で、誰が来るのかも。

      「芙玉(ふぎょく)嬢か?」

       そう言ってから、武誠は伏せた目蓋を半分まで開く。薄雲を透かすが如く不明瞭だった、目蓋越しの
      光。赤黒い(けれどどこか懐かしい)視界に切れ間が生まれ、そこから覗く光景がいやに鮮明に見えた。
       静かに誰何する武誠の言葉に、ドアの前に立ち尽くしたままの人影が応える。

      「……うむ、そうじゃ。ここに、居ったのじゃな」

       声は幼く、高い。武誠からは失われつつある、高い響きを持つ声は、落ち着いたトーンで言葉を紡ぐ。
       が、時代がかった古風な口調は、その幼い声とはアンバランスな印象があった。まるで子どもが背伸
      びするように、無理をしてそう振る舞っているような体だ。
       歳に似つかわしくない、というのなら、武誠の話し方もそうなのだが。彼がその口調を改める様子も
      ないため、今ではごく自然に馴染んでしまっている。

      「邪魔……だったかの?」
      「いいや。別段、何をしていたわけでもない」
      「そうか……」

       遠慮がちに尋ねられた言葉に、武誠はやんわりとした声で答える。肩越しに後ろを見れば、入口で立
      ち尽くす小さな人影を見つける事ができた。
       黒い瞳、きめ細かい肌。肩にかかる黒髪はしなやかで、弾く光には艶がある。輪郭や目鼻の特徴は武
      誠のように、ひと目で“夏”系人種とわかる造りである。だが、顔や体躯には幼さが残り、つり上がり
      気味の大きな目は、その最たるものだ。
       愛らしく、典雅な雰囲気は正に人形のようで、思わず陳列したくなる『完璧』さを誇っていた。そう
      錯覚させる“天上”の薫りを、この少女・芙玉は確かに持っていた。

      「仕事は、ひと段落つかれたのか?」
      「うん。茶を飲もうとドロイドたちに準備をさせたら、武誠が来ておると聞いたから……。そういう
      時は一言、声をかけてくれればすぐにでも顔を出したぞ」

       言葉の最後は、どこか苛立たしげな声音だった。が、武誠はそれに微苦笑で答える。

      「連絡もなしに立ち寄ったのはこちらだからな。神経を使うような作業を邪魔しては悪いだろう?」
      「でも……そこまで遠慮することはないぞ。だって、武誠は……」
      「俺は、何だ?」
      「武誠は……私の、友達じゃ。そう、友達に遠慮をすることなぞ、ありはせんっ」

       言い淀んでいた最初の言葉とは裏腹に、最後の言葉を強い口調で言い切る。その態度の微妙な変わり
      具合を別段気にも留めず、武誠は口を開いた。

      「ふむ。だが、親しき仲にも礼儀あり、だ。邪魔をするのは、やはり良くない」
      「家人に挨拶もせぬのは、礼儀に反せぬと言うのか?」
      「……それもそうだ」

       どこまでも真面目な朴念仁の言い分に芙玉はそう切り返す。言った武誠自身も、そう切り返され、バ
      ツが悪そうな表情になる。

      「家人に挨拶をせず入るのは無作法だな。次からは改める」
      「わかればよいのじゃ」
      「同じ家の者なら、尚更だったな」

       そう呟く武誠に、芙玉は大きく頷く。
       名義上、この家の住居者として武誠の名前も登録されている。本来なら、この家を購入した時点で所
      有権その他の権利全部を芙玉へ譲渡するつもりだった。
       だが現在、武誠は芙玉より、この家で寝起きする事を許されていた。
       N◎VAに来たばかりの頃は、不安がる彼女が寝つくまで、武誠が側につく事がほとんどだった。そ
      の時の生活習慣の延長なのか、芙玉はこの家に武誠が滞在することを勧めたのである。
       ……とは言え、独り住まいの女性(十四歳でも、立派な淑女である)の下に軽々しく泊まるのも憚ら
      れる。そのため、たいていは『遊びに訪れる』形で家にやってくるのがパターンになった。
       同じ家の住居人でありながら、どこか奇妙なこのやりとりは、そうした背景より起因している。

      「ここで話すのも何だ。リビングの方へ行こう」

       武誠はその場から立ち上がり、入口にいる芙玉の方へと歩いていく。

      「うむ。持ってきてくれた茶菓子も用意させておる」
      「然様か。お茶請けや茶の銘柄には詳しくないので、口に合うか不安だったのだが……」
      「気を回しすぎじゃ。茶菓子に合わせて、茶を用意すれば良いだけの事であろう?」

       考えすぎる武誠の言葉に、芙玉は苦笑しつつ、少々呆れ気味に答えた。
       そのやりとりがあって、武誠は芙玉の前まで辿り着く。こちらを見上げる少女の顔をじっと見て、ふ
      いに一言、呟く。

      「成程。……味見をされたのなら、その心配はなさそうだ」
      「……何のことじゃ?」
      「食べかすはちゃんと拭う事だな」
      「?!」

       武誠の言葉を聞いた途端、芙玉の目が大きく見開かれる。同時に、反射的に伸びた手は、口元を手探
      りで触り出す。

      「餡子はけっこう落ちにくい」

       見下ろす武誠は、笑いを堪えた声でそう言うだけ。黒瞳と青瞳が、双眸の奥でおもしろいものを見る
      ように芙玉へと注がれていた。
       その視線に気づき、芙玉の眉がつり上がる。

      「わ、笑うでないっ!」
      「す、すまない。だが、やる時はもう少しうまくやるものだ」
      「だ、だから味見をしただけじゃっ。先ほど、武誠が言ったではないか」
      「そのわりに、えらく慌てるのだな」
      「何も知らず、餡子をつけた顔で面を合わせたのが恥ずかしいだけじゃっ!」

       大仰な狼狽ぶりを見せぬよう、努めて冷静でいようとする芙玉。けれど、声や態度に、内心の焦りが
      洩れ出しているため、武誠も笑いを堪えるので精一杯のようだ。
       すぐに笑いを治める性質の少年だが、弁解する芙玉の様子を見るうちに、だんだん堪えきれなくなっ
      ている。声にこそ出てないが、表情にしっかり出ていた。
       しかし、そんな彼の様子がおもしろくないのは芙玉の方だ。

      「……もう、いいっ」

       ふいっ、と顔を背け、芙玉は部屋から出て行こうとする。必死に笑いを治めようとしながら、武誠も
      後に続く。

      「まあ、待たれよ」
      「知らぬのじゃっ」
      「怒ったままでものを食っても美味くなかろう? それでは茶請けに合う茶も台無しだ」
      「……どうせつまみ食いのついでに選んだ茶じゃ」
      「……」

       本当につまみ食いをしておったのか。口をついて出そうになったその言葉は、拗ねる芙玉の声を前に
      して引っこんだ。これ以上、状況を悪化させる必要もない。

      「芙玉嬢」
      「何じゃ?」

       つり上がった芙玉の目が、上目遣いに武誠を見上げる。

      「持ってきた饅頭は美味かったか?」
      「……持ってきた本人が、よく知っておるくせに」
      「俺のことではない。そちらが美味かったかどうかが重要だ」
      「?」

       拗ねた芙玉の顔が、一瞬だけ不可解な表情へ変わった。
       先ほどの笑みを治め、いつもの仏頂面に戻って武静は続ける。

      「物を送る相手が喜べないものは、送った方としても、すまないことをしたと考える。だから、そち
      らの気持ちが知りたい」
      「……」
      「それに、物を送る場合、もらう方は嬉しいだろうが、あげる方も嬉しいのだと言うことに最近気づ
      いた。だから、尚更知りたいのだ。……饅頭は美味かっただろうか?」

       黒瞳と青瞳が、双眸の奥から真っすぐに芙玉を見下ろす。頭ひとつ高い位置から芙玉を見下ろす視線。
      そう長い事受け止めていられず、芙玉は視線を外してからぽつりと呟く。

      「……美味かった」
      「然様か。それだけで、俺も持ってきた甲斐があった」

       ふいに、武誠の声音が柔らかくなった。そう聞こえた気がして、芙玉は目の端で彼を見た。
       けれど、彼の顔を見るより早く、武誠は動き、部屋のドアを開けていた。

      「行こう。茶の準備を、されておるのだろう?」
      「……うん」

       話す武誠の顔は、いつもの如く愛想なしで、朴訥だった。けれど、声音はとても穏やかである。さっ
      きまでの堅い雰囲気が、それだけで払拭されたような感じになる。

      「笑って、悪かった。……機嫌を直してくれると有り難い」
      「……今日は許す」
      「ありがとう」

       武誠のその態度に、芙玉もそれまでの怒りをあっさり手放してしまう。拘るのが馬鹿馬鹿しく思えて
      きたのだ。

      「けど、忘れたわけではないぞ。ちゃあんと、覚えておくからの」
      「……肝に銘じておこう」

       そこから先のやりとりは、すべてドアの向こうに。
       ドアはふたりと、その声を締め出すように閉じられた。

 

       誰もいなくなった部屋に残された、張り詰めた静寂と、さんさんと射しこむ柔らかな光。
       部屋に満ちたそれらは、居住者であるふたりの間に横たわる空気に似て───。

 

 

了      

 

 

      ・後書き

       最初の描写に比べて、後半のペースダウンが目に見えて明らかな気がしますが。(ダメじゃん)
       彼らの日常がどんなものか、掴めていただければ幸いです。
       それほど中身がない日常話。幕間にこういうやりとりもあったんだろう、という感じで、以後も書き
      出していく予定です。……シナリオに出来るネタを思いつけるのが、一番善いのですけどね。(^^;)

       作中の芙玉嬢はこちらの想像で描いているため、揚さんが想定している芙玉嬢とは多々異なる面が
      あると思われます(乾笑)。その辺りはご容赦下さい。
       後述するように、自分の脳内でイメージを固めながら書いていたもので……。
       もうひとつだけ口出しするなら。家屋の描写を一部屋だけに限定したのは、書いている時点でコンド
      ミニアムがどんなものか、想像がつかなかったせいです(滅)。

       思うようなアクション(リアクション)をしてくれない武誠を、PLサイドから何とかしたいつも
      りで書き起こしたのが本音(コラ)。
       頭が固いキャストともども、PLもこの辺りを学んで反撃……もとい、彼らを幸せにしたいなぁ、と
      考えてます(笑)。

       ご笑読いただければ、幸いです。それでは。

 

 

───草端、拝      

 

 

      追記:BGMは新居昭乃のアルバム『降るプラチナ』。
       歌詞の端々にある近未来的な単語と物語性が、何となく芙玉嬢をダブらせるものがありました。
       同時に『夢を見すぎてないか?』と振り返ることもしばしばですが(笑)。

 

 


 

ヽ(゜▽、゜)ノ (▽、゜ノ) ヽ(    )ノ(ヽ゜▽、)

 

   SSを頂いてしまいましたよ。
   しかも、主題は最初は、一つのシナリオで悪役として斬られて終わる予定だったキャラクターと、その娘を赦した少年のその後!

   これはもう、踊るしか。(おぃおぃ

    なんかもー、芙玉は登場した回のエンディングから急速に設定が膨らみ始めて、次のシナリオでは早速、もう一人のヒロインで
   あった月を押しのけて、メインでヒロインをこなしていたりします。

   それもこれも、あの場で彼女を斬らずにお持ち帰り(笑)してくれた武誠君の功績があっての事だとは思いますが…なんだか、気が
   付いたらとても良いキャラに育ちました。彼女達がメインのシリーズもようやく半分まで来ましたが、もう暫くお付き合いくださいませ。

 

   最後に、良い話を書いてくださいました武誠PL草端さんに最大級のお礼をー。ありがとうございました。

揚紅龍@《難攻不落》っ!!!

 

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